自分の子供が殺されたら、あなたは復讐しますか?
長峰重樹の娘、絵摩の死体が荒川の下流で発見される。犯人を告げる一本の密告電話が長峰の元に入った。それを聞いた長峰は半信半疑のまま、娘の復讐に動き出す――。遺族の復讐と少年犯罪をテーマにした問題作。
評価:★★★★☆
読者が誰であるかによって長峰に対する思い入れやこの小説に向ける眼差しは大いに異なるだろう。当然ながら読者が娘を持つ父親である場合、重く苦しいながらも読み進めることを止められない気持ちに陥るだろう。かくいう自分もその一人である。
映画化され、すでに新聞やテレビで長峰と同年代のジャーナリストがインタビューを受け多くを語っている。多くの父親がそうであるように長峰の心情、行動は明日の自分かもしれない。そう、つまり他人事である事件がいつ当事者になるかもわからないという現実を知り、そうなったときの言いようのない絶望感をこの小説は教えてくれる。日常を健やかに過ごすためには目を瞑らなければいけないことがある。しかし、否応なく現実を見つめなければならない瞬間が訪れる。
本当に大切なものを失ったとき人は狂うのだ。
絶望と喪失感の中で自らの生を支えるものがあるとすればそれは愛ではなく憎しみなのだろう。長峰のことを思うと胸が張り裂けそうになる。劇中の世論が彼を味方し、彼を追う刑事もまた深い同情を感じる。それでも法は彼を許さない。どれほど長峰の心情が理解できてもその行動を支持するわけにはいかないのだ。本作で常に問いかけられる問題の一つがそれである。正義とは何なのか。
想像力を駆使し長峰の立場に自分を置いてみた。単なる想像の世界でさえ激情が走るほど思い入れは強くなっていた。クライマックスからラストへと続く展開で僕は息を呑む。そしてなんとなく予想できたこととはいえ、後味の悪い、救いがない読後感を得る。
社会派作品としては大変優れており、じわじわとそれぞれがそれぞれを追い詰めていくさまは小説としても秀でている。読むに耐え難い描写が何度もあり、そのたびに目を背けたなくなり本を閉じたくなる。しかし、読み進めることに使命感のようなものを感じ始めるとしっかりとそれらのシーンを焼き付け、ページを追えるようになった。
本作は読み進めることに精神力が必要になる。前半で犯人の破綻した人間性やその犯罪の描写に嫌悪感を覚えると最後まで精神的な気持ちの悪さをひきづることになるだろう。特に女性にはあまりお勧めできない。
しかし、娘を持つ父親としては読んでおかなければならない一冊であることは間違いない。
この小説を読んでいる最中であった10月23日、読売新聞の編集手帳にこんな記事が載った。
寺山修司の詩文集「思いださないで」のなかに、時計の一節がある。〈時計の針が/前にすすむと「時間」になります/後にすすむと「思い出」になります…〉。思えば人は、前後どちらにも針の動く時計を携えて人生を歩いている◆つらい出来事は「後にすすむ」針に託し、身は「前にすすむ」針に託す。振り向けば、耐えられそうになかった悲しみもいつしか歳月の彼方(かなた)に霞(かす)んでいる。針の動かない、壊れた時計をもつ人はどうすればいいだろう◆27年前にドイツで娘(当時14歳)を殺されたとして、フランス人の父親(74)が第三者に依頼し、ドイツ人の容疑者(74)を刑に服させるべくフランスへ誘拐したという◆容疑者はドイツでは証拠不十分で無罪となり、のちにパリの裁判所で被告人不在のまま過失致死罪で禁固15年の刑を言い渡されている。フランスの警察に逮捕され、改めて法の裁きを受けることになるという。27年後の復讐(ふくしゅう)――そう報じられている◆誘拐も犯罪であり、父親の執念を称揚するつもりはない。ないが、47歳の人が74歳になるまで胸に抱いてきた「壊れた時計」には切ないものがある。
出典:読売新聞「編集手帳」H21.10.23
わが子が自分よりも早く世を去った場合、その理由が納得のいかないものであればあるほど、その後の自分の人生は大した意味を為さなくなる。長峰がそうであったように、フランス人の父親がそうであったように。
最近のコメント