憲太郎と重蔵はともに自らの人生に穴のような欠落を感じていた。2人は自らの人生を問い直し、これからの生き方を模索すべく、「生きて帰らざる海」を意味するタクラマカン砂漠と「世界最後の桃源郷」といわれるフンザへの旅を企図した。そこに、貴志子と圭輔も加わり、四人の大いなる再生の旅が始まった―。 大自然を背景に、魂の歓びに満ちた生を描く、希望と再生の大傑作完結編
評価:★★★★★
毎日新聞に連載されていた当時(1997~1998年)、宮本輝は
憲太郎や重蔵と同じく五十歳であった。
孔子にして「天命を知る」五十歳は人生の後半を強く意識し始める頃。
圭輔の出現によって憲太郎は自らの星である使命を知る。
重蔵は自らの会社の再編を決断し、自らを宇宙と呼ぶ。
男たちは真剣に人生と向き合い、関わる人たちを慈しむ。
世の中がいかに汚れようと、いかにすさもうと、いかに衰退しようと、心根がきれいな人間がいるかぎり、いつか歪みは正され、失望は希望へと一転する。
「律とか、道とかっちゅうもんが失くなってしもたんやなァ。人間には、これだけは守らなければあかんというような道徳律とか、人間としての道とかがあるのに、それが、この日本からは失くなってしもた。自分以外のものを慈しむ心というものが失くなって、自分だけの快楽、自分だけの欲望、自分だけの気持ち良さみたいなものに突きすすんでいってる」
本作の中で憲太郎も重蔵もことあるごとに日本という国を嘆く。
あとがきの中で作者自身が「一種異常なほどの「この国への憎悪」」を
感じながらそこに生きる「人間力のあるおとな」を描いたという。
この作品が発表されてから十年、日本は何も変わってはいない。
一般人が起こす凶悪事件は残虐さを増し、
その背景には驚くほど自己中心的な理由しか存在しない。
だからといって私たちは投げやりに生きているわけではない。
将来に不安は抱えながらも、この国で幸せに生きていくために
毎日を懸命に生きている。
もう少しだけ、あとほんの少しだけ他者への気遣いが増えれば
ひとりひとりがその気持ちを心掛ければ
日本は良い国に再生できる。それは政治でも経済でもない。
ここに住む私たちの気持ちの問題なのだ。
希望と再生を考えるきっかけになった。宮本作品の本質である。
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