ここ最近、mixiのあちこちのコミュニティで「奇跡のマイミク」が異常に盛り上がっている。
これは自分も一応便乗しておこうかと思った矢先、ニュースで報じられ
その勢いは猛烈に加速している。
SNS「mixi」のコミュニティで4月10日ごろから、「奇跡のマイミク」というトピックが乱立している。星座や干支、携帯キャリアなど5つの質問に答え、すべてが同じ人同士でマイミクシィになりましょう――という趣旨の“お友達探し”で、コミュニティからコミュニティに飛び火しているようだ。
質問の内容はどのコミュニティでもほぼ同じで、(1)星座、(2)干支、(3)血液型、(4)携帯会社、(5)一番好きな○○。(5)は、ソロアーティストのサイトならば「一番好きな曲」、アイドルグループなら「一番好きなメンバー」、スポーツチームなら「一番好きな選手」といったふうに変化する。これらが全部同じならば「奇跡」だから、マイミクになりましょう、ということらしい。
出典:ITmediaNews 「奇跡のマイミクって何?」( http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0804/17/news115.html )
流行に乗っかる大多数とそれを猛烈に嫌悪する少数の反対派が
共にそれぞれの意見をそれぞれの場で議論を繰り広げている。
一時、強制バトンがmixiで流行したときも感じたのだが、
そのような盛り上がりを見せる場の中で不快感をあらわにすると
恐るべき集中砲火を浴びる。ネットの悪い側面の一つである。
一通り、盛り上がっているコミュニティを確認したのだが、
反対派の意見としては、本来のコミュニティのテーマから
限りなく逸脱していることに腹を立てている方が多い。
リアルなシーンで例えてみる。
阪神タイガースの応援団に入っている
→(コミュニティに属している状態)
いろんな選手のファンがいて、自分なりの思い入れやコダワリがあり
それを他のファンと分かち合うのが目的だ
→(トピックスへの参加、閲覧)
そこに個人的な共通項をマッチングさせるブームが来た
→(干支、星座、血液型、携帯キャリア、好きな○○)
阪神タイガースのファンクラブなのに、本題はそっちのけで
ブームが異常なくらい盛り上がっている。
興味がない人にとってはつまらない。
個人情報の開示という点でも他のユーザーが
あまりに安易なので、腹も立つ。
そもそも、全部揃ったからといってそれがなぜ奇跡なの?
理解できない!
↑というのが反対派が占める大多数の意見のようだ。
反対派の言っていることは理解できる。
でも、それほど嫌悪すべきことだろうか、というのが僕の疑問。
個人的な感情として嫌なものは仕方がないとして
これに参加する人やここでマッチするユーザーを探すのは
それはそれで面白い手法だと感じる。
例えば、mixiには古くから○月○日生まれトピックスが存在しており
僕もそれに参加している。
マイミクになることが目的ではないから、少し本題とはそれるかもしれないが
同じ誕生日というだけで嬉しいものがある。
やはり、何となく考え方や人からの印象は近しいものがある。
誰もが持っており、しかも自らコントロールできないもの、
干支、星座、血液型、までを組み合わせることで
占いの運命的にはほぼ同じ結果となる誰かと知り合えるのは
単純な興味と面白さがある。インターネットらしい遊びだ。
このニュースをみた同じタイミングで、
smashmedia/河野武氏のブログで下記のエントリーがあった。
一部を引用させていただく。
生きてれば何十ものラベルを持ってて、どれか共通項があるとうれしいってのは人間の弱さの現れって気もするし、でもだから人間ってのは相手を大事にできるわけで、優しさの表れって気もする。悪いことじゃない。
ほんとはSNSとか、それこそ「ゆびとま」のようなサービスがうまく、こういう繋がりをストレスなく維持するために使えたらいいのになあ。
出典:smashmedia「共通項」
注意しておくが、河野氏は「奇跡のマイミク」について書いているわけではない。
出身大学が同じ方と出会い、嬉しかったという話である。
たまたま、RSSで読んで、このテーマと合うなぁと感じていたら
コメントにも奇跡のマイミクのことを書いていらっしゃる方がいた。
結局、僕は何を言いたいのかと言うと、
一時的なブームかもしれないが「奇跡のマイミク」のような
コミュニケーションの取り方は嫌悪すべきものではないと感じている。
自分と共通する「何か」を持つ人と出会える確率は普通に生活しているうちは限りなく低い。
だからこそ、何かしら共通項を持つ方とであったときは嬉しいものなのだけど。
それが手軽に(バーチャルに)体験できるのが「奇跡のマイミク」だといえる。
仮に「奇跡のマイミク」で出会えた人がいたとして、
そこから急に深い付き合いが始るわけではない。
そんなことは普通に生きていればみんな知っている。
知らない人と出会う場面はいくつもある。
そして相手とのコミュニケーションを深めていくためには自分のことを知ってもらい
相手のことを良く知る必要がある。
その過程の中で、すでにいくつかの共通項があるのであれば
コミュケーションはとりやすい。
ネット社会における様々な弊害は確かにたくさん存在する。
SNSとはいえ、パーソナリティに関わる部分を皆が公開することによる危険性もある。
本来のコミュニティの目的から逸脱しているという指摘ももっともだ。
でも、そこから何か新しいつながりやコミュニティが生まれることも考えられる。
僕はできる限り肯定派でいたい。
ただしこのブームがおかしな方向を向いてきたり、危険性が増してきたときは
速やかに警鐘をならす者でもありたい。
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