春になると急にいろんな物事が変化しだす。周囲の変化に対応しきれずに日常に翻弄されているといつの間にか春は終わり、夏が近づいてくる去年もそうだった。今年もまた、さまざまな変化が与えられ、悩み、苦しみ、気がつけば6月になっていた。日々が混沌とし自分の中で整理もつかぬままだったので、ここに何かを書くことも憚られる気がしていたのだ。今日はちゃんと整理して春の記憶を示しておきたい。
僕は社会人になって10年が過ぎた。2000年の春になんとなく広告業界に足を踏み入れた僕は、すっかりこの世界の住人になっている。この仕事の面白さを教えてくれた人と、僕の仕事を認めてくれた人、仕事上の恩人とも言えるこの二人が組織から離れていった。
前職の上司(53歳)がグループ会社へ転籍となった。これは体のいいリストラである。この話をすると多くの人が「大きな会社は受け口があるから働けるだけいい」みたいなことを言うが、果たして本当にそうか。セールスプロモーションのプランニングを30年近く一貫してやってきたのに、ここにきて営業として媒体を
売れと言われる。これまで築き上げてきたスキルがあまり活かせない会社へ配属されることは退職勧告とも等しい。決定的な失敗があったわけではなく。苦しい経営状況を改善するために50代以上の社員4人がグループ会社への移籍の対象となったらしい。そのなかでもこの上司は部長級であり、僕が新人時代にSPの基本を叩き込んでくれた恩人である。
僕が前職に籍を置いた5年半の内、直属の部下になったのは2年。もともと業務職だった僕を企画畑に引き込んでくれた。新聞社系広告代理店のグループ会社のなかでも折込や新聞広告に依存しないマーケティング職の強い会社だった。SP(セールス・プロモーション)の基本を叩き込んでもらい、リサーチやクリエイティブの仕組みも仕事を通じて学ばせていただいた。現在のように一人で仕事をするということはほぼなく、上司の仕事の下ごしらえや最終フィニッシュをメインに、ときにアイディア出しや現場での経験を通じて企画の筋肉を鍛えさせてもらった。
だからこそ誤解を恐れずに言う、僕は「基本ができている」のだ。僕が比較的若い社員やベンチャー系企業に対して厳しいのはこの下積み期間の少なさ、薄さを自覚していないからだ。仕事ができることは現場やその専門スタッフの立場や気持ちをどれくらい知っているということに他ならない。苦労自慢をするつもりはないが、この時代に経験させていただいたことに比べると今の仕事なんて楽な部類に入る。
そして、5月。現職の上司(55歳)も突然退職して独立した。僕を東京に誘った張本人である。在阪か上京か、回答期限ギリギリまで悩んでいた僕のために、自費で大阪まで来て誠実に説得していただいた。ドラフトやトレードでうんとうなずく選手の気持ちが理解できた。自分の不安を少しでも解消してくれる存在と、明確な役割とビジョンを示唆してくれたことで僕は新たなステージへ踏み出したのだ。それなのに、という気持ちは大きい。現職の中で尊敬でき、頼りにできる数少ない1人なのに。
もち
ろん僕自身が上司に依存しているわけでは全くないが、「この会社にいる理由」の一つには上司の存在がある。組織に属している以上、身近に尊敬でき目標にで
きる人がいると言うのは重要なことだと思う。特に世代的・キャリア的にも中堅層に入っていく僕は、上下のバランス感が自分の仕事をするうえでも大変重要に
なってくる。
上司の退職に伴い、僕の立ち位置というのはより微妙さを増してくる。企業戦略上、前面に打ち出したいノウハウや実績と僕が目指すスキルや仕事には微妙な齟齬がある。僕はその齟齬を埋めていきたいし、より新しい物事に取り組んで生きたいとも思っている。今のままのことを繰り返していてもダメなのだ。
だからこそ、頑張るとか努力するという然るべき当然のことを声高に言うつもりはない。それよりも視点を切り替え、物事をできるだけ多角的に捉えられるようにセンスを鍛えていかなければならない。情報や流行は流されるものではない、活用するものなのだ。6月、今まで以上に周囲との関係や自分の役割について真剣に考えていきたい。
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