最初に読んだのは10年ほど前だと思う。確か大学生だったはず。異世界が登場しない僕の好きな村上春樹の作品の一つ。
20代前半の頃にはわからなかったものが、30代になった僕には理解できるようになっていた。しかしそれは、胸をえぐられるようなものだった。
始はイズミを傷つける。それも彼女の側に立てば容赦なく傷つける。僕が男であるが所以かもしれないが、ここで始を責めることは少し考えなければならない。物語の要所で(村上作品の中では特に多く)出現する、性への執着。それは単なる肉欲である場合と全身全霊を持ってお互いを奪い合うという行為に及ぶ場合とに分かれる。いうまでもなく、始が島本さんに求めたのは後者である。
もしこのまま二度と彼女に会えなかったら、きっと頭がおかしくなってしまうだろうなと僕は思った。
「とても残念なことだけれど、ある種のものごとは、後ろ向きには進まないのよ。それは一度前に行ってしまうと、どれだけ努力をしても、もうもとには戻れないのよ。もしそのときに何かがほんの少しでも狂っていたら、それは狂ったままそこに固まってしまうものよ」
身勝手な男は安定した人生を投げ捨てて女に向かおうとする。始にはすでに理性が失われている。それは愛すべき狂いである。
「しばらくというのはね、島本さん、待っているほうには長さが計れないことばなんだ」 (中略) 「そしてたぶんというのは重さの計れない言葉だ」
別荘で始は島本さんに愛を貫くために生活を捨てると宣言する。そこはとても胸が熱くなるシーンでもあるし、とても切なくなるシーンでもある。僕らは経験的に知っている。いつまでもそんなことが続くわけがないことを。
ある意味ですべてを喪った始をまっていたものは妻だった。
このクライマックスで夫婦の会話はありふれたようでありえない姿なのかもしれない。もし、いつか自分が始のようなことになったとき、夫婦はこんな風にお互いを模索することができるだろうか。
それはたぶん僕が身勝手で、ろくでもない、無価値な人間だからだと思う。僕はまわりにいる人間を意味もなく傷つけて、そのことによって同時に自分を傷つけている。誰かを損ない、自分を損なっている。僕はそんなことをしたくてやっているんじゃない。でもそうしないわけにはいかないんだ。 (略) でも正直に言って、同じようなことがもう一度起こったら、僕はまたもう一度同じようなことをするかもしれない。僕はまた同じように君を傷つけることになるかもしれない。僕には君に、何も約束することができないんだ。
いかにも僕が言いそうな台詞だと思い、胸が痛くなる。そして妻、有紀子はこう答える。
あなたはまたいつか私を傷つけるかもしれない。そのときに私がどうなるか 、それは私にもわからない。あるいは今度は私があなたを傷つけることになるかもしれない。何かを約束することなんか誰にもできないのよ、きっと。私にもできないし、あなたにもできない。でもとにかく、私はあなたのことが好きよ。それだけのことなの
さらに十年が過ぎ、僕が不惑を迎える頃、また本作を読みかえしどのような感想をもつか想像もつかない。十年前の僕がこんなにもこの作品に揺さぶられることを想像していなかったように。
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