『GOEMON』鑑賞以後、あからさまに熱が上がっている中、、『情熱大陸』へ紀里谷和明が登場した。
熱い男である。しかしわがままなわけではない。こだわりの強さがそのまま生き方を象徴している。30分のドキュメンタリーの中でこれほどまでに男の一本気な姿を映し出すことは衝撃でもある。多くの日本人にインパクトを与え、自分の生き方を見つめなおすか、彼の言っていることは「理解できるが」、と反論を示そうとするのか、どちらかに分かれるであろう。中途半端な感想を許さない信念のようなものを感じる内容だった。
紀里谷は中学時代から単身渡米し、写真家として頭角を現す。何かの賞をとった、とかではなく、自分の足で仕事を獲得し認められてきた経緯がある。ミュージックビデオの制作で名が出始め、その作品でもある宇多田ヒカルと結婚。僕もそうだが、ここで彼の存在を知ったものがほとんどだと思われる。宇多田の夫、という言われ方も多かったと思うが、『CASSHERN』で自らの存在を完全に示した。
興業的に成功を収めた『CASSHERN』であるが、業界からは極めて酷評であった。『GOEMON』のレビュー記事でも書いたように、そこでは映像美ばかりが問われているからである。紀里谷は確かに映像の精度(リアルさを薄くし、耽美さを増すという点において)強いこだわりを持っている。本日の『情熱大陸』の中でも、ワンシーンへの飽くなき追求をもとめる姿があった。
僕も頑固な部類ではあるが、やはり予算や締切を言い訳にして妥協を余儀なくするところがある。それはビジネスという場においては至極当然のことなのかもしれない。しかし、それは自分自身が常日頃言っている言葉でもあるが「お金があれば誰だってできる」のだ。妥協したものについて胸を張って自分の仕事だといえるのか。紀里谷はそれを問う。
自分の求めるものに近づくためにはどんなことでもするべきだ。努力するなんて意識はかけらもなく、そうしなければならないからするだけのことなのだ。だからきちんと分かり合えなければ仲間は離れていく。単なるわがままや頑固さだと思われては目指すべきものがぶれてしまうからだ。明確なゴールを目指していくこと。そこに大変なリスクを背負ってでも突き進んでいかなければならない。
「自分の信じたことしかやりたくない」
胸に響いた言葉だった。僕は自分の中で信じたものを信じきれているだろうか。それに対して真摯に立ち向かっていけているのだろうか。そう考える前に走り出しているのが理想的な姿ではあるのだが、僕にはもう少し時間がかかる。
自分もいつか紀里谷と肩を並べられるように、一刻も早く世の中に自分を問わなければならない。
ウダウダしている余裕なんかないのだ。
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