豊島園ユナイテッド・シネマ
評価:★★★☆☆
原作への思入が強い分、脚本や演出に違和感を覚える部分があった。映画としてだけ考えれば悪くはないのだけれど、僕のように小説への思い入れが強い人には納得のいかない部分があると感じる。
■沓子と光子は会ってはいけない
これには驚いた。そして本質的な女性の恐ろしさというものを感じた。
光子「散歩でもしませんか?」
沓子「どうして?」
光子「お天気がいいから」
素直で優しい雰囲気を醸していた石田ゆり子演ずる光子には強さがある。沓子に説く母としての、妻としての光子をそうさせるのだろう。 ここで光子は沓子と写真を撮る。予感どおり、25年後にその写真は豊にわたる。こんな復讐をしてはいけない。それは光子の愛の深さなのかもしれないが、それは豊を沓子に走らせる材料にしかならない。 原作では決して顔をあわせることのなかった二人。この二人は対決させてはいけないのだ。
■豊はもっと沓子に堕ちていく描写が欲しかった
1部(青年時代)の後半、豊と沓子はどんどん離れられなくなっていくのだが、映画では沓子の依存が強く描かれていた。空港での別れのシーン。豊は車の中で涙を流さなければならないし、最後に彼をなだめるのが沓子でなければ豊の堪えきれぬ感情は伝わらないのだ。豊は別れ際に寄り添う沓子を邪険にすることはできないし、口づけに言葉にはできぬ愛をもって応えなければならない。その切なさを伝えるのには充分でなかった。
■壮年時代の再燃する思いはもう少し丁寧でも良かったのではないか
仕方ないといえば仕方ないのだが、30代の役者を60歳前後に見せるのは極めて難しい。中山美穂の老けさせ方は多少納得できる範囲だったが、西島秀俊のそれは微妙であった。ホテルでの再会のシーンは良かったのに、その後の食事のシーンが少し残念。もう一度キスするエレベーターのシーンは是非欲しかった。
そして沓子からの手紙は映画でも届けて欲しかった。原作を知らなければ豊が再びバンコクに行くまで沓子がなぜ病に犯され、命をつないでいたかを想像するのが難しい。ラストシーンで豊は沓子の残像と語り合うのだが、このシーンを生かすためには沓子の死を手紙で知る必要があったのではないか。現地で悲しみにくれさせるのには違和感を覚えた。
などなど、不満点ばかりを書き連ねたが、映画としては悪くない。むしろ良い方だ。あくまで僕個人がこの作品への思い入れが強いだけに、どうしても映像化されたときの脚色された部分に齟齬を感じたまでのことだ。
中山美穂=真中沓子はそのものである。これだけは間違いない。これまで、特別中山美穂について何かを感じたことはなかったが今作だけは別格である。まさに彼女の人生を変えた作品であることがわかる。
これはいうべきではないのかもしれないが行定監督が2002年にメガホンを取っていたら、自分が望む形に近づいていたのではないかと思う。
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