前クールの同じ枠は倉本聰の『風のガーデン』だった。重鎮らが筆を執るのには自分たちがやってきた仕事に対する誇りがあるからだと感じる。TV番組の質が落ちたと言われ、民放よりNHKの視聴率が上がっていると言う。ほんの十数年前までがそうであったように、TV番組、特にドラマが社会的に影響を与えるようなことは少なくなっている。それが堪えられず、自分がやらなければ、と思ったのかもしれない。
『ありふれた奇跡』の脚本家・山田太一は74歳。連続ドラマを書くのは実に12年ぶり。連続ドラマはもう書かないと決めていたそうだが、丁寧にかつ真面目に作品に取り組める信頼できるスタッフに感銘を受け、もう一本と決めたそうだ。
登場人物の心の機微がとても丁寧に描かれており、小説を読んでいるように台詞が活きている。限りなく文語に近く、どことなく演劇のような印象を受けるが、そこは役者のうまさがあり、しっかりとドラマに引き込まれた。主人公の二人を演じるのは仲間由紀恵と加瀬亮。仲間由紀恵は個人的に『トリック』や『ごくせん』の印象が強いのだが、今回のような少し陰のある役のほうが魅力が活きる。そして蓮ドラ初出演となる加瀬亮。もともと上手い俳優なので、日常を生きる人たちを描く今回のようなドラマはどてもはまり役である。
初回の見所は二つ。まず偶然(?)再会した加奈と翔太が夕暮れに街を歩くシーン。メールアドレスの交換にぎこちなさがあり、職業を聞かれた翔太は「底が浅い人間だから職業くらい秘密にしておきたい」と言う。自分の仕事に誇りが持てないとかではなくて、自分を説明するための材料として職業や仕事への自信がまだ追いついていないと感じているのかもしれない。加奈もそれについては深く聞かない。相手を知りたいという気持ちと自分を知ってほしいという気持ちのバランスがあって、少しづつ理解して欲しいことがあるのであれば翔太にとっての職業はまさにそれであったのかもしれない。
次に、加奈と翔太、藤本、権藤が喫茶店で会合するシーン。権藤に諭され、藤本は自分の気持ちを吐露する。権藤が言う、「ほんとの不幸はね、心に届くまでに時間がかかるのよ」そうかもしれない。ショック状態から抜け出し、日常をやり過ごすうちに、ある時、どうしようもないやるせなさがやってくる。人間はそれほど強いものではなくて、そのやるせなさに抗えず飲み込まれていく。それが藤本にとってのあの日の駅のホームだったのだ。藤本は言う。「私は一人じゃない。誰にも見えていないわけではない」。こうして再び人生を生きるということを取り戻していったのだ。
人はみな、一人で背負わなければならないものを持っている。友達や恋人は自分が背負っているものを知ってくれるかもしれない。自分がそれに堪えられなくなったとき、そっと支えてくれるかもしれない。それが友情や愛情というものだと思う。わかるように人に説明することは時には大切なのだ。人は一人で背負わなければならないものがあるが、一人では生きていけない。一人じゃなかったと感じられた瞬間に背負っていた思いは溢れ出すのだろう。
このドラマはそれを感じさせてくれる。このドラマはじっくりと感じとっていきたい。
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