かつての同僚であるデザイナーから電話があり、久しぶりに会うことになった。
OGIMACHI Deccaでピザとビールを片手に談義。
同僚はもともとデザイナーであったのだが、ディレクターへのキャリアアップを目指し転職。
しかし、どうにもディレクション業務が肌に合わず、デザイナー業へ戻る。
デザイン管理をするアートディレクター的な立場におさまりながらも
現役デザイナーとして数々の仕事をこなしている。
通常、企画制作の仕事をしていれば、いきなりディレクターになれないのは常識である。
現場の仕事の流れや他のスタッフとの折衝、自分の仕事の位置づけなどを学び、
経験を蓄えてからディレクション業務を覚えていく。
クリエイティブディレクターやプロデューサーという役職は
企画制作の仕事の長のようなものである。
通常、これらの職についているものは自ら業務に手を出すことはしない。
僕は一般的な広告業界の慣例からすると少し異色かもしれない。
スタートはSP業務で、そこからプランニング畑に入る。
今でも自分はマーケティングプランナーというのがしっくりくると思っている。
仕事の一旦として制作物のディレクションをすることがあり、
最初は単なる進行管理であったが、徐々にデザインや文章のルールを身につけ
クリエイターの言いなりではなく、自分の意図するものを目指して
ディレクションできるように成長していった。
閑話休題。
同僚はもともとデザイナーであったがため、
自分よりもスキルの劣るデザイナーとの仕事に
ディレクターとして入ることが苦しかったと言う。
冷静に、客観的に、担当デザイナーの仕事よりも質の高いものを
自分が制作できることが歯がゆかった、と漏らした。
僕は前述の通り王道的な企画制作の道を歩いてはいない。
どちらかといえば真っ直ぐ歩いていた道が曲がっていて
気がついたら別の山の高いところに着いてしまった感じなのだ。
僕は自分でデザインができないので、デザイナー無茶をいうしリクエストも多い。
但し、自分にはできないという自覚もあるので、制作者の意図を残す余地を残す。
僕がディレクターとして評価されている部分があるとすれば、まさにここだろう。
同僚は自分ができてしまうがゆえに、相手に委ねるということがどうしても難しかった。
単にデザインの質的な問題ではなく、ディレクターである以上は
制作物の品質責任を負わなければならない。
その品質でお金をいただくということにシビアにならなければならない。
デザイナーの意欲や能力を引き出すのもディレクターの仕事であれば
どうしてもそこを上手く立ち回れなかった、だからデザイナーに戻ったのだ。
と、語る姿には悔しさよりも安堵が見えた。
職業のアイデンティティ、自らの仕事の誇り、それを聞かれれば何と答えるだろう。
同僚はデザイナーであると答えるだろう。僕はプランナーだと答えるだろう。
つまりディレクターというのは組織でいうところの管理職的な一面がある。
もちろんディレクターというアイデンティティは存在する。
しかし、そこにはディレクターを中心とするチームが必要になる。
チームを集められるかがディレクターの手腕でもある。
そういう意味では僕はプランナーと名乗りながら、典型的なディレクターなのだ。
広告の企画制作の仕事は細分化されている部分と
横断的に領域を超えていける部分とが混在している。
同僚はデザインという専門的な分野にアイデンティティを認め、
僕は横断的に制作者と関わるディレクション業務に自分の価値を見出している。
5年後、10年後も変わらないために変わり続けながら
この仕事を続けていくことに僕は何の不安も感じない。
同僚も同じことを言った。つまり、僕たちにとって今の仕事は天職なのだ。
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