妻の実家は下町の銭湯である。
義父が三代目であり戦後の昭和時代を駆け抜けた象徴のような佇まいである。
平成になったころに改装を施し現在の姿になったのだが
建物そのものや銭湯が持つ雰囲気は昭和のままである。
その銭湯が畳まれると聞いたのは昨年のこと。
妻は二人姉妹であり、義父は跡取りを求めなかった。
自分の代で風呂屋は終わりだという意識はずっと以前からあったらしい。
体が元気なうちに引退しようといいながら時間が過ぎていき、
ようやくいろいろな準備が整い始めた。
まだ本格的な閉店には少し時間がかかるかもしれないが、
歴代続いた銭湯は着実にその終焉を迎えようとしている。
僕は長女の婿として何かできることはないかと考えていた。
自分にできることはそのわずかな能力を活かし、
義父母とその先代が残した銭湯の姿を克明に残すことだ。
映像ではなく、写真で遺したい。
そこに確かな痕跡を文章としてまとめるのが僕ができる最大限であるだろう。
大学時代の友人でプロカメラマンであるI氏へ連絡し、相談する。
彼が大阪へ帰省する日の一日を撮影に頂くことを了承いただく。
迎えたのが本日。
I氏の実家へ迎えに行き、仕事さながらの機材を積んで出発。
大阪市内にある妻の実家へ到着すると、簡単な挨拶を済ませ
義父母に本日の撮影骨子を伝える。
仕事の邪魔にならぬようにするのでいろいろなシーンを撮らせてほしいとお願いする。
儀父母は快く承諾してくれる。形にして残したいという気持ちに理解を示してくれた。
僕自身、風呂屋の仕事をちゃんと知るのは初めてだ。
釜に火を入れるところから撮影は始まる。
一日の流れを追っていくので特にディレクションは必要としない。
義父に装置の説明や苦労話などを取材しながら撮影は進む。
風呂掃除、のれんがけ、飲料や小物の補充などを順を追っていく。
番台に上ってもらい、それらしく撮影する。
さすがに開店後にカメラを構えるのは商売上難しいので
ここだけは僕が客役で日ごろの姿を醸し出す。
I氏が本気で撮影してくれたので昼食も取らず夕方まで通し続ける。
今回は彼自身が色と風合いにこだわりを持って中判カメラでのフィルム撮影となった。
Hasselbladのカメラは初めて見た。まぁ自分が知っているのはマミヤくらいなのだが。。。
普段の仕事ではほとんどデジタルが主流になってきているだけに
僕も新鮮な気持ちで撮影に参加することができた。
余談だが、僕に写真のイロハを教えてくれたのは彼である。
学生時代はよく彼の実家で現像などしたものだ。
一通り撮影が済んだ後、一番風呂に入る。
誰もいない銭湯でのびのびするのはちょっとした贅沢だ。
I氏も喜んでくれて何よりだった。
その後、少し早めの夕食に出かけて二人で乾杯。
最近の仕事事情や同世代の躍進、少し先の将来について語る。
夜は久しぶりに庭先で花火を楽しんだ。
本当に一日を費やして撮影は終了。途中、いろんなものも撮ってもらい、
彼には感謝が尽きない。
作品が上がってきてから、どのような形で世に出すかを考えていく。
僕の真価が問われるのはまさにここからなのだ。
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