大学時代の友人ら二人と久々に会う。
この二人は趣味や嗜好が近く、学生時代は仲良く過ごしていた。
それぞれの生き方や考え方は全く異なっていて
だからこそそれぞれの立場について客観的に意見できたりする。
三十歳を過ぎた男が集まると愚痴や自慢話になるのが世の常だ。
僕は友人らと会うときは自発的には仕事の話はしないし
プライベートの話もしないようにしている。
もちろん聞かれれば話すし、相手の話がプライベートな話であれば
自分の話も提供するが、できる限り最近見たテレビや本、
空想に耽った将来の話をすることが多い。
それは僕らの共通言語がそうであるからであって、
決して避けているわけではない。
それぞれの生き方はやっぱり全く違っていて、
僕ともう1人(仮称A)は自分の来た道を肯定しながら進んでいる感じなのだが、
もう1人(仮称B)が完全に人生の岐路に立たされている。
否応なし突きつけられる現実というものがある。
仕事、収入、結婚、家族、などなど対峙しなければならない人生の壁がある。
Bはいろいろなタイミングが一度にやってきているようで
傍から見れば完全に空回りしている。
もう少し落ち着いて冷静に自分を客観視すれば活路は見えてくるのかもしれないが
今の彼はあらゆるプレッシャーが邪魔をしている。
僕は人の輝き方には二種類あると考えている。
明るい場所でもその存在を知らしめる「太陽」のような輝きと
自分が輝ける場所を知っていてそこで強く光を放つ「月」のようなタイプである。
僕は自分では「月」タイプだと思っている。
これまでの人生に出会った「太陽のような人」は僕にとってまぶしい存在だった。
本人の意識や考えとは無関係に明るく周囲を照らしてくれる明るい存在。
Bはまさにそれだった。
僕にとっては大切な友人であるし彼の力になりたいと願うが
今彼が抱える問題は大げさではなく彼の生き方に関わるものであり、
ちょっとしたアドヴァイスで好転するとは思えない。
彼はすでにとことん考え抜いただろうし、だけどその結論には自信がなくて
その自信のなさがいろいろな悪い影響を与えているのだ。
今日の会合も彼の話に終始してしまう。
もちろん答えなんて出るわけがないのだが、僕自身ができること、
力になれることを本当に真剣に考えた。
でもやはりB自身がまだ答えを出しかねているだけに偉そうな事はいえない。
もう少し時間が必要なのかもしれない。彼はもう充分に考えたというだろうが
もっともっと考え抜き、悩みぬき、死ぬ気で決心を固めたときに
きっと彼が胸を張って僕らに言ってくれることがあると思う。
それが何なのかはわからないが、その結論を否定することなく
彼の生きる道をほんの少しでもサポートできればこんなに嬉しいことはない。
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