四年に一度しかない2/29の終電間際、ようやく待ちわびた電話が鳴る。
あと10分遅ければ電車に乗ってしまっていた。
何人かからの着信の中からAさんのものを見つける、迷わずにコール。
その頃のように、主語もなく、挨拶もなく唐突に会話は始る。
「とりあえずお初天神を歩いてるから、こっち来てや」
「わかりました! 今ホワイティを歩いてたので近いですね。それじゃあとで」
僕は踵を返し走り出す。曽根崎警察署を回り、お初天神をゆっくりと南へ進む。
花月まで来ることはほとんどない。ある程度なじみのある所はわかっている。
そして向こうから見知った顔が三人歩いてくる。
僕は一瞬であの会社の雰囲気を取り戻し、自分のあるべき姿を獲得する。
どうやら会社の一次会が予想以上に長引いたらしく
これから二次会が始るらしい。
先輩らの集団とはぐれたため、誰かに電話しては店を確認していた。
主役であるはずのAさんは自ら率先して働いている。
名前は有名だが入ったことのない居酒屋へ入り、奥の座敷に案内される。
そこには懐かしい顔をが並び、僕がこの場にいることが至極当然のように
普通に会話が始る。二次会で10名を超えることは結構珍しい。
面子は僕が新入社員だった頃のメンバーに近い。
六年前に退職された先輩もいた。でもこの場にいるのがとても自然な面子だった。
久しぶりに会ったメンバーが最初に話した話は、東京と大阪の広告事情の違いについて。
昨年東京へ転勤となり、退職のきっかけを掴んでしまったAさんが口火を切り
僕が話し、先輩が語り、大先輩が意見を述べ、同僚がコメントする。
今の会社でも広告談義に花を咲かせることはあるが、
このメンバーでは、より現場に近いSPの話が中心になる。
広告が先か販促が先か、それは時代のブームもあるし、メーカーの考え方一つでもある。
僕らはずっとSPの力を信じていたし、その底力も目の当たりにしてきた。
それを後押しするためのマス媒体であったり、ブランディングであったりしたはずだった。
でも知らぬ間に僕は広告よりの側に立ち、SPを眺めている。
退職するA氏ももちろん、広告業界には身を置いたままである。
広告を獲得し、広告主の販促に寄与するフリーペーパーの媒体社に移る。
話は尽きず、お決まりのように北新地へ流れ込む。
週末の月末、10人もの人数が終電過ぎから入れる店はそうはない。
何店かの馴染みの店を経由した後、大先輩が最近付き合い深いという店で
全員の席が確保できた。
同期の四人がAさんを囲んで話をする。
この会社に勤めはじめた頃、僕らは互いに切磋琢磨した。
僕は入社当時から現在に至るまでスタッフ職を歩いてきたが、
自分で仕事を発掘し、獲得してくる広告営業職にA氏は全力を尽くした。
この四人の中で辞めそうにないはずの二人が僕とA氏だった。
彼は語る、「決して会社自体や仕事に不満を感じたわけではない」、と。
僕はその言葉を噛み締める。そうなのだ、そのとおりなのだ。
もちろん日常的な不満がないわけではない。
それは大局的な視点から考えると会社を辞めようと決意するほどのことではなく、
むしろ、それらを改善させていくことが
将来の自分たちの仕事であるとさえ考えていたほどだ。
では、なぜ会社を辞めようと決意したのか。
それは辞めることを決意した者だから理解できることがある。
理由なんてすごく単純で、要はタイミングなのだ。
会社の将来、自分のスキル、今の仕事、世の中の流れ、プライベート、年齢、
そんな自分に関わるいろんな物事が何かの拍子にカチッとはまる。
本当に音を立ててはまるのだ。
そうすると、自分の中の新しい何かが動き出す。
「心残りがあるとすれば、こんな風に日頃からこのメンバーと会えなくなることだ」
明け方近くの彼のつぶやきに、誰もが同じことを感じていたと思う。
会社に残っている2人が退職を決めたとしても、
こんな風に人は集まらず、いろいろなことを多くは語れないだろう。
それもタイミングの一つで、次の機会があるとすれば
僕らはもう青いことをいえない年齢なのだ。
会社員であることのメリットを挙げろと言われれば
僕は同じ環境に仲間がいることだと答えるだろう。
馴れ合いではなく、組織という中で必死に自分の立ち位置を見つけ
会社の看板を背負い、仕事を通じて自分を育てていく環境。
そして、下積み期間ともいえる二十代の期間を共に歩めた仲間がいること。
この仲間たちは間違いなく財産である。
僕らはこの四人で出会えて幸せなのだ。
夜が明け、それぞれが自分たちの暮らしへと帰っていく。
「終わりましたね」と口に出して言ってみる。
その言葉の意味は、多分みんなが同じ理解をした。
僕たち自身の若い時代が終わったのだ。
始発を待ちながら僕は自らの来し方行く末を思う。
僕らの中で、間違いなく今夜一つの時代が終わった。
最近のコメント